そう思いながら子どもたちを育てています。
自分の軸で物事を捉えれるように、いろんな角度から都度起こる出来事を見れるように。
私は大人になってからそのことに気付いたし、きっとそんな人はたくさんいるはず。
でももっと前に、例えば小学校低学年の頃に気付けてたらその後来る多感な思春期をもっと気楽に、もっと自由に謳歌できてたんじゃないかなと、最近子どもたちの成長を見ながら考えています。
ちなみに中学生の頃の私は空気読むのがめちゃくちゃ得意で。
お友達にこう言ったらどう思うかな?いやな気持にならないかな?嫌われないかな?ということに全神経を集中させてました。
今の学校の方針がどうなのかはわかりませんが、その頃は「全員と仲良くするのが当たり前」な風潮で。
今思うとぞっとしますが、ぜーんぜん性格の合わない子、興味の違う子、気の強い子、気の弱い子が無理やり仲良しごっこさせられてる感じで。
もう違和感ありまくりの学校生活だったのは言うまでもありません(;´∀`)
最近は「個性」や「多様性」という言葉が浸透し、教育の現場も変わってきているとは思うんですが、もし自分の子どもが私と同じような違和感を抱えて学校生活を送るとしたらそれは絶対に回避したいな、と。
・・・あかん!!長くなりすぎる。。
回避するべく私がドラムスクールを通して生徒さんに伝えたいことと、ドラムに興味のない娘と息子にはどうやって伝えればいいか考えてる最中という話は次回に。